長男の登校しぶり 

記憶が鮮明なうちに

登場人物→長男(小2)、次男(年長)。

今朝の話。
長男は日頃より「朝早く起きて準備が終わったらゲームをやる」と宣言。
ここまでは自分の選択なので良しとする。

しかし、「起こして」「アラームかけて」と他人任せ。
実際にやってあげたものの起きれず集合時間の20分前に起床してバタバタ。

そんな中、次男が登園時間より3時間前に起床し自分の準備を終わらせ、合間でゲームをして優雅に過ごす。

それを見た長男が「次男ずるい」と泣き叫び、20分の準備時間のうち15分も泣き叫びに使ったので当然ながら遅刻決定。

遅刻が決定した途端、後から行くのは嫌だからと登校をしぶる。

次男の登園時間に合わせて一緒に行こうとするが、行く気ゼロ。
次男の登園時間が遅くなるので先に次男を登園させる。

家に戻ったあと、一緒に行こうとするが寝そべって動こうとしない。
終いには「学校に行きたくない」と言う。

「学校に行きたいくない」の理由を聞くも「宿題が嫌だから」と返答。
しかし、宿題が嫌と学校に行きたくないは結び付かない。
(登校しようと休もうと宿題はお友達が持ってきてくれるから)

「お友達から嫌な事された」についてはそれは無いと。

「先生が嫌な事した」もない。

よーく聞くと、「遅刻すると途中で1人で教室に入らないといけないから自分だけ違うのが嫌」だそうで。
だから学校を休みたいと。

その時Voicyで聴いた「子ども有給」を思いだしたけど、何か違うような気がして以下の事を長男と話し合いをした。

①「次男ずるい」は「次男羨ましい」であること。
→自分がやりたかった朝時間でゲームをするを次男がやっていた事は「自分もそうしたい」であって、ずるいではなく羨ましいであること。
→同じ24時間をどう使うかは自分で選択するもの。次男は早起きを選び、長男は寝坊と遅刻を選んだ。それを人のせいにしない。

②遅刻を自分で選んだのに学校を行きたくないは違う。
→学校行く気で準備を始めていたのに、他の事で時間を使って間に合わなかった。
この「間に合わなかった=失敗→やりたくない・行きたくない」は今後も起こりうること。
そして、経験が少ないうちに「失敗→やらないで終わる」だけで解決してほしくないという親の気持ち。

失敗したと思っても、やり直すことが出来る。やり直して最後成功すればよい。
自分が失敗したと思った時、自分で気持ちのの切り替えをする。
これを教えたい。

第3者が原因での学校しぶりなら全力で守るし、事前申告の子ども有給なら調整はする。
失敗を自己評価した時に「やらない」の選択肢のみは余りにも選択肢が狭すぎる。

という話をした。

そしてしぶしぶ登校する事になった。

さて行こうと車を走らせたが、ふとが思いつきでスタバへ。

長男も車内で「???」だったが、スタバで好きなものを選んで車内で飲んだら「気持ちが軽くなった」「家でいた時間が何だったんだろう」と気持ちの変化だあった。

気分転換をすると、同じ「学校へいく」も違う気持ちで向き合えるようになるということが彼は経験できた。

いざ、教室についても普通に入れてクラスの子からは変わらずの「おはよう」があった。この一言が親的にも安心した。

午前11時、こうして長男は学校へ行った。

帰りの迎えで長男に聞くと、
「遅刻しても自分が思っていたより周りの子たちが普通だった」
「気持ちの切り替えで学校へ行く見方が全然違った」
と笑顔で返答があり、彼の中で少なからず変化と経験が出来たのではないかと思った。

学校へ行くのが絶対の正解ではないかという考えもあるが、私の中で彼に教えたいことが学校渋りの事例を通して伝えられたのかなと感じた。(勝手な自己満足)

これを踏まえて今後どうするかは彼の選択と彼の人生なので自由に選んでほしい。

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コメント

  1. 我が家の長女も学校行き渋りがあるので、えがちゃんさんのお子様への対応大変参考になりました!

  2. 同級生ですー!!興味深く読ませていただきました!具体的にお子さんに話されてる姿、嫌を分解して寄り添う姿勢!素敵すぎる!

  3. なんと同級生なのですね!
    何が良いのか毎回悩まされます。
    寄り添う・・意識していなかったのですが、寄り添えていたのかなとホッとしました!